2009年11月29日日曜日

『転移』中島梓


以前も日記に綴ったが、今年5月にガンで亡くなった中島梓さんの絶筆、『転移』が出版された。
これは再発してから死の直前、昏睡状態に陥る当日まで書き続けられた中島梓さんの個人的な日記だ。
今日は誰それに会った、今日はなにを食べることが出来た、原稿を何枚書くことが出来たか、出来なかったか、身体の調子がどうか・・・
そういった個人的な日常の記録が続いている。
そして最後に・・・・・・

死は本当に突然訪れるものなのだということを、改めて知った。
それがたとえ明日をも知れない闘病生活を送っている方であったとしても、だ。
本当に、真実、「その瞬間がいつなのか」は誰にも分からない。
呼吸が停止し、心臓が機能を止める瞬間は、誰にも分からない、もし認識することが出来たとしてその直後に自分自身という意識体はこの世から消えてしまっているのだ。

最後の日の日記を見た瞬間、涙がとめどなく溢れた。
「生きたい」
叫びが、聞こえた気がした。

改めて、死は恐ろしい、と思った。

今日、私は紅葉を見た。
近所のお寺のお庭だったが、それはとても美しかった。

生命には限りがある。
だからその最後の瞬間まで力を尽くして精一杯生きることは、生命あるすべてのものの義務だと思った。

2009年11月22日日曜日

「食卓の情景」池波正太郎


食について書かれたエッセイがとても好きだ。
なかでも池波正太郎のエッセイは大好きだ・・・実は彼の本業であり大ベストセラーにもなっている時代小説は一冊も読んだことがないのだが。

そのほかにもいくつかお気に入りの「食」の本がある。
私自身が食べることが非常に好きだから・・・ということを抜きにしても、他人の「食」は非常に興味深い。

それにはいくつか理由がある。

ひとつ。
「食を楽しむ人は人生を楽しむ人也」
同様に、「仕事を楽しむ人は人生を楽しむ人也」というのも、わたくしの持論のひとつである。
人生の大半を、人は仕事をして過ごす。
例えば一日の目覚めている時間を十八時間としたならば、現代の勤め人は実にその七割、八割を職場で仕事をして過ごす。
人生の七割、八割を楽しめなければ、当然、人生を楽しめる道理がない。
同様に、人間は一日三度、または二度、食事を取る。
どんなに忙しくでも、どんなに食べたくなくても、たとえそれがたった5分で終わるものだったとしても、だ。
日に二度の、一年に730回(または1095回)の食事を楽しみにして待つか、それともただの消化作業として済ますか・・・・・・
それによって人生で体感できる幸せの絶対回数は大きく変わるだろう。
毎日会う人と交わす挨拶、毎日見る景色への感動、毎日味わう食事の喜び、、、
幸せになりたいと思うなら、何も特別のことをする必要はない。
日々、私達が生きていくうえで、何万回、何十万回、何百万回と繰り返さねばならない事柄を、ただひたむきに愛せばよい。
それだけで人生の幸福の絶対量は増える。
そしてそのことを実証するかのように、好きな食べ物について語る時、人はとても幸福そうである。

そして、もうひとつ。
「食は人生なり」
私が池波正太郎の食のエッセイが好きな一番の理由は、食とともに池波正太郎個人の思い出がふんだんに込められているからだ。
幼い頃に食べた縁日のどんどん焼き、それにまつわるテキヤのオヤジとの温かくしかしどこか危なげな交流、そして母、祖母、曾祖母との思い出、小さな手に握り締めた五十銭・・・
幼き日、父と母が離婚したことを知った担任教師が、そっと池波少年にだけ食べさせてくれたカレーライスのうまさ・・・
出征の途中で立ち寄った飛騨高山で見た冬山の光景、そしてそこで食べたチキンライス。
池波正太郎が愛した料理とは、それを作った人、出してくれた人との思い出とあいまって、ほんわりと温かい思い出に包まれている。
そして、池波正太郎が愛した店は、どこかしら「江戸の香り」を残した店ばかりだ。
池波正太郎が愛した職人の気質、誇り、こだわり、それはおそらく、自身の「作家」という稼業に賭しているものとおなじ匂いがするものなのだろう。
池波正太郎が書く「食」「店」へのこだわりは、池波正太郎の人生そのものの軌跡のように思われる。
池波正太郎がこの本を出版したのは昭和四十八年。
今を遡ることおよそ三十六年前。
池波正太郎が愛した店は、味は、江戸の香りは。
果たして今も残っているのだろうか。

食に関するエッセイは、ただひたすらに通ぶったようなものは、知識を得たいときにはまあよいとしても私個人の好みではない。
それよりも、作者の個人的な思い入れが匂い立つような、温かい湯気がほの立つようなエッセイが好みだ。

本日の収穫。
「星の王子さま」サン=テグジュペリ
「ふしぎの国のアリス」ルイス=キャロル
「絵のない絵本」アンデルセン
この三冊は実家に帰れば持っている本なのだが、”クリスマス限定カバー”という謳い文句に釣られてつい購入・・・卑怯也、出版社・・・
「老妓抄」岡本かの子
「おはん」宇野千代
これも実家で探せば以下同文・・・
なぜか無性に、明治の女の生き様を読みたくなりました。
「空気の研究」山本七平
「平凡パンチの三島由紀夫」椎根和
この二冊だけは初めて読む本で楽しみです。

本屋に行けばたくさんの新刊本が並べられている。
だけれども、残念ながら、あまり興味を惹かれる本は少ない。
だからおなじ本を繰り返し繰り返し買ってしまうのかもしれない。
古き良き時代、日本人のベル=エポックを求めて。

2009年11月17日火曜日

家具の音楽


音楽家に、エリック・サティという人がいる。
私にしてはめずらしく、クラシックで「好きだ」と言える唯一の作曲家かもしれない。
だいたいにおいて私は部屋で音楽をかけることはない。
「ながら」が好きではない私は、考え事や読書をするときに音があるのを好まない。
だから音楽を聴くときには「これから音楽を聴きます」という体勢に入ってから聴く。
そうして大抵、通勤の時にはJ-POP、休日の夜はJAZZと決めていて、クラシックを聴くことなど月に数える程度しかない。
そんな私が、気まぐれに流すのではなく、「これが聴きたい」と思って聴く唯一のクラシックがエリック・サティのピアノ曲だ。

彼の音楽は多くの人が、CMやいろんな場面で聞いたことがあるだろう。
クラシックと言う言葉から連想する音楽とはすこしかけ離れた・・・
音楽に詳しくない私でさえ、どこか変調を用いた、すこし風変わりな音楽だな、と思う。

しかし、風変わりなはずの音楽は、まるで自己を主張しない。
どこか、座りが悪いような、噛み合わせが悪いような、そんな居心地の悪さを醸し出しながら、一方で、流れていてもまったく邪魔にならない・・・その点で、いわゆるオーケストラなどのドラマチックなクラシックとも、ショパンやシューベルトの華やかな軽やかなピアノ曲ともまた違っている。

家具の音楽。

音楽はロビーに添えつけられた椅子のようなもの。
そこにあることを意識する必要がまったくなく、私達の生活を遮り邪魔するようなものではない。
サティは音楽をそう表現したことがある。

変わり者と言われたサティの音楽は、私の部屋に静かに流れる。
華麗でも重厚でもロマンチックでもなく。
流れていることをふと忘れてしまうような気安さで。

心が疲れたときには、サティの曲を聴く。
頭のなかを空っぽにしたいときには、サティの「家具の音楽」で頭のなかをいっぱいに満たす。

なにもかもを静けさで塗り替えるような、そんな、音楽。
それが私にとってのエリック・サティ。

2009年11月16日月曜日

母上様。


母が漬けたらっきょうが一瓶。
これまで食べたどんならっきょうよりも美味である。
いくつでも食べられる、気がつけば一瓶なんてあっという間になくなってしまいそうなくらい美味しい。

だけど。
実は母が漬けたらっきょうを食べるのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。

母は料理が苦手な人だった。
だから、食卓にのぼるらっきょうや白菜漬け、それから梅酒などは、父の母や、母の母が作ったものだった。
最初に、父の母が亡くなった。
父と母は、結婚して最初の1、2年を除いてはずっと、父の母と暮らしていた。
母はこれ幸いとばかりに、料理はほとんどこの父の母に任せきりだったので、らっきょうや梅酒は父の母が漬けたものだった。
また、母の母も料理がとても上手な人で、ことに白菜漬けや十六寸を甘く煮たものなどは私の大好物で、田舎に帰る度に山盛りいっぱい持たせてくれた。
その母の母も、病気で身体の自由がきかなくなり、母に美味しい白菜漬けや十六寸を持たせてくれる人はいなくなった。

それから何年か経って。
実家に帰ると、母は、父の母が使っていた大きな梅酒の瓶を使って、梅酒を造っていた。
甘いお酒は嫌いだと言っていた母が、自分で漬けた梅酒を振舞ってくれた。
それから、今年。
実家に帰ったときに、母はらっきょうをつけていた。
誰に教わったのだろう。
父の母が元気なときも、母の母が元気なときも一切漬けたことがなかった母なのに。
甘酸っぱいらっきょうはいくつ食べても飽きることがなく、すこし酸味のきいた浅漬けの白菜はとても美味しかった。

甘えたの母は。
父の母や、母の母が元気なときは、もっぱら食べる側だった。
母に似たものぐさな私は。
母がいなくなったあとに、らっきょうや白菜を漬けるようになるのだろうか。
出来ればそれまでに、母にこの美味しいらっきょうの漬け方を教わっておきたい。
でも母のことだからきっと。
ぜんぶ目分量だからよくわからないのよ、と、笑って答えるに違いない。

2009年11月15日日曜日

霊峰富士


ベランダから見える景色に、優美な三角形をしたシルエットがくっきりと浮かび上がるようになる。
今年も、そんな季節がやってきたのだな、と思う。

不思議なことに、そのシルエットは夏はなかなかぼんやりとして像を結ばない。
空気がきんと冷えた、凍てつくような寒さの日ほど、その影がはっきりと見える。
それともそれは気のせいなのだろうか。

冬の日の空気は透明度が高い。
と、勝手に思っている。
空気に余分な水分が混じっていない分、遠くまで、遠くまで、歪みなく見渡せる。
と、勝手に想像している。

だから、冬の日の空はことさらに遠く高く、ことさらに澄んで見えるのだと。
幼い頃から勝手にそう思い込んでいた。

だけれど。
ずいぶん大人になった今でも、きっとそうに違いないと思っている。

心にも空気にも、余分な湿り気などないほうが、まっすぐに遠くまで見渡せるような気がする。

2009年11月11日水曜日

ちまたに雨の降るごとく


我が心にも涙ふる
かくも心ににじみ入る
この悲しみは何やらん

今朝の雨は久方ぶりに激しかったですね。
ぱらぱらの雨はここ最近もあったと思うけれど、「雨が降った!」をたっぷり実感したのは久しぶりのことだったような気がします。

雨の日は嫌いじゃない。
スーツもヒールもバッグも濡れちゃうし、髪もぼさぼさになっちゃうけれど。

雨が地面を叩く音。
視界にフィルタが一枚かかったような感覚。
レンズを通して見たときのようなかすかな歪み。

いつも見ている風景が、実は、ただ私の眼という小さく頼りない器官を通しているだけの曖昧で不確実な姿に過ぎないのだと。
見えているものがいつもまっすぐに正しく瞳に飛び込んでいるのだというのは実は錯覚に過ぎないのだと。
知ることは必ずしも不快なばかりではない。

なぜならば視覚だけでなく。
神経も、感覚も、思考も。
すべては「ただ自分はそう感じている」というだけの、錯覚に過ぎないものかもしれないのだから。

ただひたすらに、自分という器官が感じたことだけが真実。
人はそうやって自分の真実のなかで生きている。
もしその真実を他人と共有することが出来たら。
・・・・・・いや、それは決して共有することは出来ない。
だから人は「共同幻想」を抱く。

双子が見ている夢は「共同幻想」なのだろうか。
それとも本当に、双子はまったくおなじ体験を共有し、感覚を共有することが出来るのだろうか?

アンドロイドは夢を見るのか。
それはSFにおけるひとつのテーマである(あった?)が、私にとっては「双子はおなじ夢を見るか」のほうが興味深い。

それにしても。
ヴェルレーヌという詩人を偏愛しているということは決してないのだが、ヴェルレーヌがもつサンチマンタリズムはある種日本人の感覚に近いのだろうか?
私に限らず、多くの人の耳に、ヴェルレーヌのいくつかの詩はしっかりと刻まれている。
こんな雨の日は。
つい、ヴェルレーヌの詩を、意味も分からずに口ずさんでしまう。

2009年11月8日日曜日

行き止まり


長崎本線の終着駅。
線路は駅を貫いておらず、ここで途切れていた。

行き止まり、終着点。

そこはほんとうに小さな駅だ。
終着駅、という言葉から想起されるようなドラマチックな気配は微塵も感じられない。

明るく、のどかで、人もまばらだ。

それが「長崎」という町の本質なのかもしれない。