2010年5月17日月曜日

針仕事













古くなったタオルを捨てようと思って、思い直した。
仕舞いこんであってめったにお目にかからない裁縫道具を出してきて、雑巾を縫った。

日常生活で針を持つことはほとんどない。
せいぜいが取れたボタンをつけるときくらい。
破れてしまったり古くなったりすれば、いや、そうでなくても飽きてしまえばすぐに捨ててしまう。

針を持つと祖母を思い出す。
古くなったタオルを雑巾に変えてくれたのは祖母だった。
小さくなったセーターをほどき、違う色の毛糸で模様を編みこみ、一回り大きなセーターを編んでくれたのも祖母だった。
古くなった着物をといて、巾着袋を作ってくれたのも祖母だった。
私が中途半端に放り出していた家庭科の課題用の布、いらないなら頂戴と持っていってはちょこちょことお針仕事をする。
私が放置していた作りかけの割烹着も結局祖母が縫い上げて自分で着ていた。

祖母の手は、いつも、いろんなものを創り出す手だった。

針仕事だろうと編み物だろうと、祖母にはマニュアルは必要なかった。
ぱっぱっぱと手が動き、思ったとおりのモノが出来上がる。
それは幼い頃からお裁縫を躾けられた人の手だ。

昔の人はたしなみとして、常識として、花嫁修業として、お料理やお裁縫をごく当たり前に教育されていた。
便利さが不便さを置いてけぼりにする。
大切なものまで、置いてけぼりになっていないだろうか。
ふと、不安になる。

0 件のコメント:

コメントを投稿