ランチタイムはいつも行列、公園を目の前にした最高のロケーション
アオリイカをバジルで
豚肉と豆のスパゲッティ、トマトソース好き
パンナコッタ
母と語り合う。
母と過ごす。
私の人生の約半分は両親と過ごした時間。
約半分は両親と過ごさなかった時間。
母とひとつところに暮らすのは十年ぶり。
母は、心配するのが仕事。
母だけじゃなく父もそうなのだけれど、母の心配はとても具体的で身近だ。
風邪をひいていないか。
食事をちゃんと取っているのか。
おおよそ、母の心配事というのは身体と健康に関わること。
十年ぶりに暮らす母はやっぱり心配性で。
過剰なくらいに心配性で。
母の気持ちがすこしはわかるようになったはずの私は、母の前ではやっぱり子どもにかえってしまい。
心配性の母に心配をさせてしまうことが申し訳なく。
そうして苛立って母に八つ当たり。
・・・ちっとも成長していない。
そうして。
気がつけば私も、母とおなじことで一喜一憂していた。
しょんぼりした母の背中に、言えない「ごめんなさい」。
せめて罪滅ぼしに、母が作ってくれたおにぎりを一生懸命食べる。
「ほら、ちゃんと食べたよ、私、美味しかったよ」と、母に言いたい私。
いつまで経っても、いくつになっても、母の前では子どもにかえる。
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