2010年9月26日日曜日

抱っこ

文豪達が愛したKADO、贅沢で繊細な今のケーキとは一線を画す
いまどきの人の舌には合わないのかもしれない、だけれども昭和を知る人には懐かしい味わい、温かみのあるデザイン
四ヶ月目のお誕生日おめでとう。


きみを抱っこするのが好きだ

初めの頃、重くて、慣れなくて、こわごわと抱えていた
肩も背中も腕も痛かった

今では生まれたときの二倍の重さになった
だけど今、私は軽々ときみを抱っこする

きみを抱っこするのが好きだ
それで、きみが眠っている顔を見るのが一番好きだ
私の腕のなかで、全身の力が抜けて、無防備にだらんと抱っこされているきみ
あおむけの、やや下方から煽りのアングルで見るきみの顔は
ちょっと栗饅頭のような感じで
それもまたかわいい
口がぽかんと開いてたりしてもかわいい
ちょっと薄目が開いているのは怖いけど、でもやっぱりかわいい

眠っているきみのすべすべのほっぺたに、そっと自分のほほをあててみる
つるんつるんのぱんぱんのほっぺたが気持ちいい
ちいさな寝息が耳元に届く
そしてかすかなミルクの香り
きみの体温
五感すべてがきみを感じ取る

きみは私の腕のなかで眠る
何回、何十回、何百回、、、
きみは私の腕のなかで眠りにつくのだろう

いつかきみは、今よりもっともっと重たくなって
いや、そうでなくても
私に抱っこされることを嫌がるようになって
いつかがきたら
もう二度と、きみを抱っこすることもない

今だけの重み
今だけの幸せ

今だけだから
思い切りきみを抱きしめたい
思う存分抱いていたい
この温もりを
この安らぎを
この愛しさを
私の心に焼き付けたい
何度も何度も、決して忘れることのないように何度も

2010年9月24日金曜日

結合

初めて歩いて一緒に出かけた
ふたりだけの記念日


神経経路が結合する
ばらばらだった心と身体
次第に統合されていく

きみが、興味を惹かれるものへ手を伸ばし始めた
伸ばした手が対象物を捕らえ
きみは欲しかったそれを掌中におさめる

おそらく、それが、「人間である」ということ

これから先きみは幾度も幾度も繰り返すだろう
欲しい、と望み
それを手に入れるために努力し
そして欲しいものを手に入れる

人生はその連続
始まりはたったひとつのちいさなお人形

2010年9月18日土曜日

たからさがし

久しぶりにあった友人
変わらない笑顔
きらきらとした人懐こい眼差し
こどもであろうとおとなであろうと
相手の瞳を見て、話を聞いて、うなづくきみ
すこしも変わっていない
そのことがとても嬉しく、慕わしく

でも、今日、ふと気がついた

きみは表現することにとても繊細で、
言葉をじょうずに、丁寧に選ぶ
だから話上手なひとだと思っていた
だけど、
本当は、聞き上手なのかもしれない

きらきらした瞳で、相手を見つめる
あなたのお話に興味があるよ
そんなシグナルがきみの表情から、仕草から伝わってくる
きみのそんな顔を見ていたら
今頃気がついた

知り合って長い長い年月が過ぎたけれど
まだ発見できることがある
今度、またきみに会えたら
私はなにを発見できるだろう

授けられる

命をさずけられた
もう数十年も前の今日
母から、父から
命をさずけられた

一年前のある日
命をさずけられた
かみさまから、
命をさずけられた

そして初めて知った
生きる、ということは
生きている、ということは
それだけでとてつもなくすばらしいことなのだと

今、生きている
それはだれかが大切に大切に育んでくれたということ
ひとりで大きくなった人間はひとりもいない
みんな誰もが、誰かの大切な宝物

向上心。

私が一番好きな花は薔薇、優しさだけで出来た花束
遠方からきた可愛らしいお客様からのプレゼント

このところの流行は
寝返りをうとうとして、仰向けからうつぶせへ
だけど下敷きになった手をうまく外すことが出来ず、
結局はまたころんと仰向けに逆戻り
時々、出来ないことに苛立って声をあげる
でもまたすぐに、うつぶせにチャレンジしている

何度も何度も、きみは飽かず繰り返す
もどかしさに身を捩じらせ、苛立ちの声をあげながら
きみは何度もおなじことを繰り返す

だれも教えてない
ある日突然、きみはきみ自身にそれを課す

そうして出来るまで、何度でも、何度でも
もし出来なかったらどうしよう
なんて、きみは考えない
どうせ出来やしないんだ
なんて、ちらりとも思わない
一瞬たりともネガティブな思考が入り込む隙間はなく
きみはただ、前へ前へ、進もうとだけする

諦めや妥協を知らない
ゴールへ到達することしかイメージしていない
だれもがそんなふうだった
生まれたばかりの頃は

諦めない精神、前にしか進まない心
きみは今日初めて、仰向けからうつぶせになった
それは母への誕生日プレゼント、とても尊い誕生日プレゼント

2010年9月12日日曜日

愛しさに胸が詰まる

かぼちゃのテリーヌ、塩味がきいていてなかなか美味

鴨のポルペッティと茸のスパゲッティーニ、いわゆるミートボール、鴨だからあっさりカモ


栗の焼き菓子とフランボワーズのムース、栗の渋み?なかなかクセになる、フランボワーズはさっぱりと甘酸っぱく


きみが腕のなかで眠るとき
愛しさに胸が詰まる

身体中の力が抜けて
私の腕にずっしりときみの重み

生まれてすぐはとてもちいちゃかった
今、生まれたときの二倍近くの重さに

増していく重みは
命の重み

腕のなかに感じる
きみの重み
それは愛しさと比例している

愛しくて、胸が詰まる
そんな思いは初めてだ

溢れる

きみを見ていると
ふいに涙が溢れる
きみはただ笑っただけなのに
きみはただ泣いただけなのに
きみはただひとりで遊んでいるだけなのに
きみはただくしゃみをしただけなのに

きみを見ていると、
そんななんでもないことが
とても大切で、とても愛おしいということに
気づかされる

きみを見ていて知るのは命のいじらしさ
だから、君を見ていると涙が溢れる

無限

腕のなかのちいさい身体

ずいぶん大きくなってきたなって思っていたけれど・・・
こうして抱えているとどれほどちいさいか

きみさえ望めば
きみはなんにだってなれる
空を飛ぶスーパーウーマンにも
かわいい奥さんにも
お花屋さんにも
先生にも
スチュワーデスにだってなれるだろう

無限の可能性のなかから
選べるのはたったのひとつ

きみはどんなひとつを選ぶのだろう

願い

きみを見ていると、つい
いろんなことを願わずにはいられない

健康であってほしい
笑顔であってほしい
幸せであってほしい
苦労は出来るだけないほうがいい、でも人間としての成長過程なのかな、苦労も必要かな・・・
美人さんになったらいいな
お友達たくさん出来たらいいな

いろいろ願うけれど
本当はたったひとつ

きみの心を知りたい
きみの喜び
きみの哀しみ
きみの怒り
きみの挫折
きみの幸福
きみの心がなにかに触れたとき、きみの心はどう動くのだろう
きみはどんな人なんだろう

今はまだきみの心のなかは見えない
きみが大きくなるにつれ、きみの心が育っていくつれ、それは見えるようになっていくのだろうか?

きみは、どんな人なんだろう?
きみをもっともっと知りたい、たくさん知りたい

母の記憶

夕暮れ時、ピンクの空

韓国のお土産、マロンクリーム入りのチョコレートなかなか美味しい
以前貰ったのはチャングムの誓いのパッケージのチョコレート
韓国ドラマのパッケージが流行なのかな?


今は便利な機械があって
毎日のようにキミのビデオ撮影会
あんな表情もそんな表情もぜんぶ記録に残したくて
母はしょっちゅうビデオを片手に

うつ伏せから仰向けにコロンと出来た決定的瞬間もばっちり
揉み手するようになった姿もきっちり
ぬいぐるみを両手で抱えてる姿もしっかり

そしてキミが眠った後は、キミのビデオでまたキミに会う

あれ?
なんだかすこし違う・・・

さっきまでほんのちょっとしか上げられなかった頭を、両手を支えて持ち上げられるようになった時の得意げな顔
一生懸命ミルクを飲んで、おなかがいっぱいになればまばたきの回数が増えて次第にまぶたがおりてきてそのままおねんね

画面には切り取った瞬間しかない
その瞬間に出会うまでのキミの姿は残っていない
胸のなかに抱きかかえたときに感じるキミの愛しさ
うつ伏せでも胸が苦しくない様に真剣なまなざしで何度もチャレンジするいじらしさ
そういうものは、母の記憶にしか残らない

ぜんぶを残しておきたい
だけど、ぜんぶ残っているのは、ただ母の記憶にだけ
それは長い長い道のりをキミとともに歩んでいくための神様からのプレゼント
母だけの特権

2010年9月7日火曜日

日進月歩

日本一!


生まれたばかりの頃
きみは寝たっきり

身体の筋肉が未発達で
寝返りもうてないし
横向きになることも出来ない
モノを掴むことも出来ない
目もあまり見えていない
生命を宿しただけの物体

でも、きみの心が、身体が、
どんどん強くなっていく

きみが手を合わせる
たったそれだけのことが
きみは昨日まで出来なかった
きみの右手がきみの左手をしっかりと掴む

きみは足を上げるのが得意だ
腰の力が強くなったから、ただ足を上げるだけじゃない
上げた足を支えきれなくなると、
ぱたんと横に倒れて、君は横向きになる

胸を圧迫されて嫌いだったうつぶせ
腕の力が強くなり、手で上体をすこしだけ支えられるようになる
そうしたらうつぶせのきみは、にっこり笑顔

昨日まで、そこにあったおもちゃを掴むことは出来なかった
今日、気がついたら、きみはおもちゃを掴んで
一生懸命お味をみていた

もちろん、大変なことも増えていく
泣き声がたくましく響き渡るようになり
私の腕のなかで全身をつっぱって暴れまわる
きみはずいぶん大きくなったので、
暴れるきみを抱っこするのもひと苦労

ただのかたまりだったきみは
どんどん、進化する

きみの小さな身体にみなぎる、溢れる力
生きようとする力、
前に前に、上に上に、進もうとする力

誰でも、それを持っている

2010年8月17日火曜日

寝息


灯りを落とし
薄暗くなった部屋で横になる

と、寝息が聞こえる

すうすうと
わりあい、しっかりと
おとなみたいな寝息が聞こえる

こんなにちいさな身体をしていて
お鼻もお口もちいさいけれど
寝息は一人前

どんなにちいさくっても、きみはちゃんと一人分なんだね

2010年8月2日月曜日

駆け足

一日が駆け足で過ぎていく
だのに、まだたったの二ヶ月と一週間

一時間、一時間の密度が濃くて
時間が過ぎるのを早いと感じているはずなのに
過ぎてしまえばたったの一日

誰かと24時間ずっと一緒にいたら、
こういう感覚なのだろうか

2010年7月26日月曜日

あした

きみと一緒に暮らすようになって
今日で二ヶ月。

初めのころにくらべたら、
きみも私も、ずいぶんとお互いの存在に慣れてきたような気がしている
私はきみという存在がいつもいることがあたりまえになってきたし、
きみもきっとそう。

きみの顔を見ているのがとても好きだ。
笑った顔が一番好きだけれど。
嘘泣きの甘え泣きの顔も捨てがたい。
顔を真っ赤にしてわんわん泣いているととても可哀相、だけど、初めのころと違って、泣いているきみを見ていると余計に愛おしさが募る。
なにかに夢中になって、瞬きもせずにじっと見つめている顔も好き。

眠っている顔も愛しい。
思わずきみの唇にキスをしたくなる。
そっと顔をよせると、胸がどきどきと音を立てる。
それから、我慢してほっぺたにキスをする。
ファーストキスはとっておいてあげよう、いつか出会うだろう、きみの一番大切なひとのために。

眠っている顔も好きだけれど。
早く起きてくれないかな。
明日の朝、またきみに会えるのがとても楽しみ。

明日がこんなに待ち遠しいなんて。
これもきみがくれた宝物。

2010年7月25日日曜日

誕生


母が買ってきてくれたハイビスカス。
母が帰ってからも、何度も花を咲かせる。

また綺麗な花が咲いた。

窓から眺める。
たくさんの部屋の灯り。
部屋の数よりももっとたくさんの人。
たくさんの人の数だけ、父がいて、母がいる。

誰でも、昔はこどもだった。
親のいない人はひとりもいない。

父と母がいて、私が生まれた。
君が生まれた。

2010年7月18日日曜日

進化

午前5時

午後7時、富士の影

日々、変わっていく君。

私の洋服をぎゅっと掴むようになった
あやしたら笑うようになった
おなかがいっぱいになったら哺乳瓶を吐き出すようになった
すこしずつ一人で遊べるようになってきて、目が覚めているのに私を呼ばなくなった

君のおかげで変わっていく私。

君の泣き声で、おなかが減ったのか寂しいだけなのか、なんとなく分かるようになった
どうすれば君が笑うのか、たぶん、すこしだけ分かるようになった
だいたいどれくらいミルクを足せばいいのか分かるようになってきた

君が進化する。
ついていこうと私も必死。

進化する君、君はいつも懸命だ。
だから、私は、君から目を離せない。

ほんのすこし目を離したすきに。
君はもう進化している。

そして私の君への愛も、日々、進化していく。
君の進化の速度よりも速く、君の進化の深度よりも深く。

2010年7月14日水曜日

遠い道のり


人の夢と書いて儚いって、
誰が考えたんだろう

おさないときに夢見ていたこと
おとなになってから描いた夢

叶いそうだと思っていたけれど、叶わない
叶えたいと思っていたけれど、叶わない
叶えばいいなと願っていたけれど、やっぱり叶わない

どうして夢なんて見てしまうんだろう
でも
夢見ることをしなければ、人生はあまりにも長く退屈なものになってしまうかもしれない

人生は砕けた夢の欠片が集まって出来ているのかも

母親製造工程

午後6時25分
おかあさんがどうしてあんなに心配症なのか。
わかった。

ミルクは足りてる?
すこし部屋が暑いのかな?
眠れなくてぐずってるの?
おむつが汚れているのかしら?
寂しいの?
遊びたいの?

赤ちゃんは泣くことでした意志を伝えられない。
ただ、泣くだけ。

だからお母さんは、あれかな?これかな?って心配する。
心配して、あれこれ世話を焼いてみる。
おむつを替えてみたり。
ミルクをあげてみたり。
抱っこしてとんとんしてみたり。
それでも泣き止まなくて途方にくれたり。

だから、おかあさんは。
きみが大人になってからも、心配ばっかりするんだ。
大人になったきみは、いつの間にか親になにも言わなくなってしまうから。
赤ちゃんのときは泣くだけで、大人になったら自分だけの世界を持って。
きみがどうしたいのか、なにを思っているのか。
わからないから、おかあさんはひたすら心配する。
むかし、きみが赤ちゃんだったときに、そうしていたように。

ご飯ちゃんと食べてるの?
あなたは風邪を引きやすいんだから気をつけなさい。
そんなに気を使わなくても、大丈夫よ、誰でもそんなものなんだから。
自分のことを一番に考えなさい。

そうやって、おかあさんは作られていくんだね。

2010年7月10日土曜日

しなくてもいいこと

午前五時

朝まだき

焦らなくていい
走り続けなくていい
自分を責めなくていい
誰かと比較しなくていい
いつもいつも強くなくっていい

世の中にはしなくていいことがたくさんある

無理しなくていい

無理して守れるものと、無理して失くしてしまうもの
たぶん、無理して失ってしまうもののほうが、本当は大切なもの

2010年7月8日木曜日

尊いもの

午前8時


午後6時


母の置き土産、ハイビスカスがまた花をつけた


むかし、私は自由だった
自分のことだけを考えて生きていればよかった
自分の好きなことに夢中になって生きていてよかった
自分の生活があり、自分の生き方があり、自分を自立した人間だと思い込んでいた

いま、君に出会って
いままでの私はなんてこどもだったんだろうと思った

自分の好きなことをする時間なんてない
すべてきみに振り回されっぱなし
まったなし、先の読めないきみとの生活
そして、そのことに不満を感じたりする余裕さえない

きみとふたり
必死に一時間一時間を過ごしていて
なりふり構わず
食事をとるのも忘れて
背中や腕の痛みも忘れて

自分よりも大切なものが出来て、自分よりも守りたいものが出来て、すべてが不自由になった
だけど
むかしの私に還りたいとは思わない
「生きる」ことの本当の意味を、きみに出会って知ったような気がする

2010年7月7日水曜日

いのち

君とふたりきりで、ちいさな部屋にいる
静か過ぎて
時々怖くなって
眠っている君の寝息を確かめて安心する

ちいさな鼻
ちいさな口

かざした私の手にふれる吐息はあまりにもちいさくて
思わず、寝ている君の足をつつく

ぴくん、と動く

安心する
そして、寂しくなる
早く起きてくれないかな

起きたらまたたくさん泣いて、たくさん抱っこをせがまれて、疲れてしまうのに
君が眠っていると、とても寂しい

2010年7月5日月曜日

35日間

過ぎてしまえば瞬く間の35日間だった。

毎日、一緒にいた。
一緒にテレビを観て、一緒にお昼寝をし、一緒にご飯を食べ、一緒に夜空を眺めた。

母と、こんな風に過ごしたことが今まであったかな。
母はずっと夜働いている人だったので。
私が起きたときには母は寝ていたし。
私が学校から帰ると母は仕事をしていた。

この35日間、母はいつでもキッチンカウンターの向こうにいた。
視線を上げればいつでも母の姿があった。
私のためにご飯を作ってくれている母の姿があった。

洗濯をしていると、母が買ってきた洗濯ばさみが置いてあった。
掃除をしていると、母がおろした雑巾があった。
料理をしていると、母が買ってきたお玉があった。

そこここに、母が35日間暮らしていた名残りがある。
だけど、母の笑顔はどこにもない。

35日間があまりにも幸せだったので。
今、すこし寂しい。

2010年6月30日水曜日

全力投球

昔、サッカーが大好きだった
でもいつのまにか見なくなった
ワールドカップも、休職中の今は、友達や会社の人と熱く語り合うこともないので、なんとなく見ていなかった

昨夜、たまたま夜中に目覚めたので、後半からパラグアイ戦を見た

どちらも攻めあぐねているなという印象、なんとなく間延びした試合展開
「あ~、これはPKだな」
それにしても、JAPANは上手くなった
だって、間延びした試合をワールドカップで出来るようになったんだもの
間延びって、互いの力が拮抗していなければ出来ないよね
弱ければ一方的に攻められるし、相手のリズムに翻弄されるだけ
対等に間延びできるということは、それだけの力量があるということ

PKは時の運、、、
きっと、たぶん、肩に力が入りすぎたのだ
だって、そういう場面だもの
誰だって緊張する

フランスワールドカップ、日本が初めて本戦に出場したときのことを思い出す
あの時、戦犯、ではないけれど得点出来なかったエースが批判された
でも今回、PKを失敗した選手を非難する人はいなさそう

どちらが楽なのだろう
責められるのと、許されるのと

責められれば当然つらい、でも許されれば自分で自分を責め続ける

どちらもつらい

国を背負い、世界の大舞台へ上がるということは、そういう厳しいプレッシャーを負うということでもある
多くのスポーツ選手の真剣な眼差し、厳しい面持ち、私は仕事をしているとき、そういう顔をすることがあるだろうか?
私達日本人は、どんな場面でそんな表情を出来るのだろうか?
国を憂い、人心を憂うとき、そんな顔を出来る日本人がどれくらいいるのだろう?
願わくばスポーツの場だけでなく、そんな顔をした日本人を見たい

新しく

午前五時

明日から7月、
いろんなものが新しく変わる予感

新しい洗濯機が届いた、二回まわしていたのが一回で済む、超楽チン♪
一ヶ月居てくれた母が今週一杯で帰ってしまう、本当の意味で新しい生活がスタートする
新社長の誕生、きっと、もっともっといろんなものが変化し進化していく

いよいよ夏の予感
私の気持ちも一新しよう

新しいものに、ひるまず立ち向かっていこう
きっとそこには、想像していなかった世界が広がっているだろう

2010年6月26日土曜日

もうひとつのHappyBirthday

お気に入りのフレンチにてランチ、鶉の卵とラタトウュのアミューズ



大根と帆立の野菜サラダ、サフラン仕立て

とうもろこしのポタージュ

和牛ミンチとフォワグラのパイ包み


ガトーショコラ、洋ナシのタルト、ブルーベリーのババロア、カシスのソルベとラムレーズンのアイス

この1ヶ月は、生まれてから今までのなかで一番密接に母と暮らしたひとつきだった
過ぎてしまえばあっという間の1ヶ月だ
あと一週間もすれば、母は帰ってしまう
そうしたらまた、長い間、母に会うことはない

母は私になにも望まない
母はただただ、私に与えることだけを望んでいる

もう充分だよ、もうおなかいっぱいだよ、自分の楽しいこと、すこしはしなよ

いくら言っても、母には届かない
母はただただ、私に与えようとだけする

いったいどうすれば、この、ただ与えるだけの母にお返しをすることが出来るのだろう
どう考えても、母のために私がしてあげられることが思いつかない

私といると母は自分の欲がなくなる
すべて私が優先される
もうそんなことしなくったっていいと、いくら言っても

すべての母親は聖母なんだと
母を見ていて、思った
無償の愛情とはこういうものなのだと
母を見ていて、知った

来月、還暦を迎える母
お祝いをしようと言っても、プレゼントを贈ると言っても、なにもいらないと言う、むしろするなと言う
自分のことは後回しにする母の笑顔が見たくて、母を食事に招待した
母は喜んでくれた
ひとつひとつのお料理に感激し、こんなに美味しいもの食べたことないと言い、私にありがとうと言いながら、甘いものが苦手な母はデザートも頑張って食べようとしてくれた
そんな母を見ながらふと思った
私の喜ぶ顔を見たくて、母はこんなに感激してくれたんじゃないだろうか

いつになったら私は母にお返しできるのだろう
・・・・・・きっと、ずっと、貰いっぱなしになるんだろうな

お母さん、ありがとう

いつか

一ヶ月目の朝の空、おめでとう


君が大人になったとき、
なにを愛するだろうか?
なにを悲しむだろうか?
なにを憎み、なにに傷つき、なにを憂い、なにを喜び、なにを楽しむのだろうか

まだ君の人生ははじまったばかりなのに
私は君の「いつか」を思い描く

いつか君が小学生になったら
いつか君が高校生になったら
いつか君が成人したら
いつか君が大人になったら

「いつかの君」に思いを馳せる

君に望むことはなにもない
君にはただ命を与えただけ
それ以外に君にしてあげられることは、本当はなにもない
ここからさきの君の人生は、君が選び、君の足で歩んでゆくもの
だから君になにかを望んだりはしない

だけど

「いつかの君」を勝手に想像するくらい、想像して遊ぶくらい、していいだろうか

いつか君が人を愛するようになったら、
いつか君が我が子を自分の手に抱く日がきたら、
きっと私の矛盾も受け入れてくれるだろう

いつか君が大人になったら・・・
思い描かずにはいられない

君は希望と未来をそのちいさな身体いっぱいに抱えて生まれてきた

2010年6月23日水曜日

ただ美しく





ただ美しく
ただ慰められる

自然にはその力がある

美しい色合い、微妙な、絶妙な
人には創れない輝き

同じ感激をともに味わいたい
瞬間の美をともに感じたい

未完成

人間は未完成で生まれてくる

放っておかれると簡単に死んでしまう
かよわくてはかない、ちいさくてたよりなげな生き物

だから、手がかかる
だから、愛情が必要
だから、本能が無条件に反応する

君は眠りにつく方法をしらない
君はひとりで身体を起こすことをしらない
自分の手が自分の手であることすらしらない
自分で自分の髪をひっぱって、その痛みに泣き出す君
君の手が髪をひっぱっているから痛くって、その手を離せばすぐに痛くなくなるのに、君はそんなことも知らない

なにも知らない
ただ、泣くことと、食べることと、身体の生理的な機能以外はなにもしらない
ひとつひとつ、これから生きていくすべをおぼえていかなくてはならない
それはとてつもなく遠い道のりのようにも思えるし、あっという間のようにも思える
難しいようで、簡単なようで
私はどうやってそれを身につけてきたのだろうか

まっしろな君
無垢な君

あるのはただ、至上の愛しさのみ
それだけで充分
それだけで君の虜
私にしがみつく、君の小さな手
それだけで君を愛する理由は充分

2010年6月22日火曜日

こえ

夕景、歩道橋から

流れ

何が出来るのかな

まぶしい

伝えたい、ことがある
だからこえがある

こえが届かない
悲しくなる

こえが聞こえない
寂しくなる

言葉を伝えるためのこえ
思いを伝えるためのこえ

こえが聞きたくなる

2010年6月19日土曜日

回復中

すこしずつ揃えているお気に入りのデザイン、今日はおニューのティーカップでTeaTime


いつもと違う視線の高さ、自分本来の視線
ただの風景も新鮮で嬉しい



以前履いていたジーンズを履き、以前履いていたピンヒールのサンダルを履き、ひさしぶりに散歩に出た。
二時間ばかり、駅前までのささやかな散歩だが、ここ一ヶ月ほど外に出ることがほとんどなかった私にとってはちょっとした冒険だった。

毎日通っていた駅までの道。
なんだかひどく懐かしい。
工事中だった病院が完成してオープンしている。
一ヶ月が過ぎたんだと、改めて思う。

駅前のお気に入りの雑貨屋、本屋、スーパー。
久しぶりに行くと、買い物欲が止まらなくなり、ついつい夢中になってしまう。

当たり前のことを当たり前にできることがどんなに素敵なことか。

以前履いていたピンヒールのサンダル。
たった二時間で足がずいぶん疲れてしまったことに気がつく。
一ヶ月が過ぎたんだなと。
改めて思った。

理由。

母が買ってきてくれたハイビスカスが咲いた
綺麗な赤い花、大好きな南国の香り


母は、仕事がひと段落つくと珈琲(またはアルコール)を片手に煙草を実に美味しそうに吸う。
母がベランダで煙草を吸っているのを見ると、ふと、十ヶ月前に止めて、それ以来吸いたいと思わなかった、このまま止められるかなと思っていた煙草を吸いたくなってしまった。
煙の匂いは今でも鼻につく。
味も忘れた。
だけれども。

仕事と仕事の合間に、ふと自分を取り戻したくなった、または頭のなかを切り替えたくなったときの煙草の旨さ。
それは味わいがではない、その時間が旨いのだ。
そしてアルコールが入ったときに、ふと煙草に火をつける瞬間。
ゆらっと炎があがり、煙が立ち上る。

私が煙草を吸っていた理由を思い出した。
煙草がもたらすほんの数分の特別な空間。
それが好きで、私は煙草を吸っていたのだ。

せっかく止めたのにな、という私と。
自分の人生を豊かに彩るアイテムじゃないか、と思う私。
どちらの私が勝つかは、あと数ヵ月後に委ねよう。

2010年6月17日木曜日

魅惑、誘惑

某コージー◎ーナー、世界のカップデザート!
これが期待以上に美味しくて
ポルトガルのミルクパルフェ、カスタードと生クリームがめちゃ甘でLOVE
また食べたいな
五個くらい一気にいけそうなのですが、いったらアチラの世界から返ってこられなさそう・・・



節制と暴走は表裏一体

ここ十ヶ月ほど、食事管理をしている
というか、せざるを得ない状況になったので、致し方なくやっている

食事については、もともとが粗食なのでたいして辛くない、らくらくクリア
問題は、「甘味」
これぞ最大の敵!?

好きなものっていうのは、結局我慢できないものなんだな~というのが実感
あまり抑えつけると、時々、暴走してしまう(笑)
え~と、まさに今、暴走してます(笑)
あ~、きなこまめ美味しい♪

今まで抑えていたものが、猛烈に逆流したくなる
胃袋だか舌だかの生理的な欲求と、無理矢理に抑えていたものから解放されたいという精神的な欲求とのふたつが相まって、大変な奔流となって突如欲望が押し寄せてくるわけです
そうなると、もう大変!
やめられない止まらないはカルビーのかっぱえびせんですが
私の甘味欲も止まらないわけです

う~ん
ものすごい罪悪感を伴うんですが、美味しいものは美味しい、食べたいものは食べたい

ま、物事はなんでもバランスなんですけどね
だから適量で止められるなら食べてもいいんですけどね
甘味に関しては適量で止められず、そこなしなので
開けたパッケージぜんぶ食べ終えて、食べたくってももうないですよ~って状態に達しないと止まらない
恐るべし、甘味・・・
いやいや、恐るべしは私だった(苦笑)

隙間

隙間を埋めるために、花を買おう
隙間を埋めるために、歌を歌おう
隙間を埋めるために、日記を書こう
隙間を埋めるために、隙間を埋めるために・・・

隙間を埋めるために生きているんじゃない

生きていたら、もれることも、足りないことも、多すぎることもあったりする。
そのアンバランスさが隙間を生んでいるだけ。

だからその隙間は。
失敗の証かもしれない。
上手くいかなかった事の積み重ねられたものかもしれない。
だけれども、私が一生懸命生きてきた形をしている。
埋める必要はない、誇るべき隙間。

2010年6月16日水曜日

夕景




毎日通勤していたとき。
私は空が好きだった。
雲が好きだった。

なかなかおうちから出られなくなった今。
籠の鳥のような生活でも、空は見られる。雲は見える。

刻一刻と姿を変え、同じ紋様は二度と編まない。

2010年6月14日月曜日

祝福。

頂いたお祝い、ステキなプレゼント!


寿ぎ、慶び、祝福、お祝い

目出度きこと、善きこと

そこには翳がない
温かさとか優しさとか愛しさとか慈しみとか、そういったものしかない
誰もが笑顔になり
誰もが優しい顔になり
誰もが心から湧きあがる本当の気持ちを素直に言葉にする

そこには善しかない
人間の性、善なり、
そう思う瞬間

「ありがとう」
私が二番目に好きな言葉
一番好きな言葉は、「好き」という言葉

みんな、ありがとう
幸せです

2010年6月13日日曜日

恐れ、畏れ

恐いものがある。
それは、死ぬこと、私が、誰かが。

ほんの数秒前まで、呼吸していた。
ほんの数時間前まで、笑っていた。

だのに、もう、笑わない、語らない、抱きしめてくれない。
その境界線の前後で違うものはたったひとつ。
身体の機能が動いているか、いないか、たったそれだけのこと。

なぜ身体の機能が失われて、心まで無くなってしまうのか。
昨日まで、さっきまで、そこにあったはずの「心」は死とともにいったいどこへ行ってしまうのだろう。

死が恐い。
恐いのは、心を連れ去ってしまうから。
私と言う人間を他者から隔て区別していた「心」が、私が私である証の「心」が、あなたがあなたである証の「心」がどこにもいなくなってしまうから。

死を恐れる。
生を愛するが故に。
自身の生を、あなたの生を。
あなたへの愛着が深くなればなるほど、死への恐れも、、、畏れも、増していく。

死を恐れることのできる人は、生を愛することができる人。

2010年6月12日土曜日

継がれる

「ここはセーヌ川河畔か!?」と思った、ビーチパラソル















ランチタイムはいつも行列、公園を目の前にした最高のロケーション





アオリイカをバジルで


豚肉と豆のスパゲッティ、トマトソース好き


パンナコッタ


母と語り合う。
母と過ごす。

私の人生の約半分は両親と過ごした時間。
約半分は両親と過ごさなかった時間。

母とひとつところに暮らすのは十年ぶり。

母は、心配するのが仕事。
母だけじゃなく父もそうなのだけれど、母の心配はとても具体的で身近だ。

風邪をひいていないか。
食事をちゃんと取っているのか。

おおよそ、母の心配事というのは身体と健康に関わること。

十年ぶりに暮らす母はやっぱり心配性で。
過剰なくらいに心配性で。
母の気持ちがすこしはわかるようになったはずの私は、母の前ではやっぱり子どもにかえってしまい。
心配性の母に心配をさせてしまうことが申し訳なく。
そうして苛立って母に八つ当たり。

・・・ちっとも成長していない。

そうして。
気がつけば私も、母とおなじことで一喜一憂していた。

しょんぼりした母の背中に、言えない「ごめんなさい」。
せめて罪滅ぼしに、母が作ってくれたおにぎりを一生懸命食べる。
「ほら、ちゃんと食べたよ、私、美味しかったよ」と、母に言いたい私。

いつまで経っても、いくつになっても、母の前では子どもにかえる。