2010年1月31日日曜日

働きもの

今日の空、毎日違う色、毎日違う雲の形


一日で2万枚売れるというラスク!
戴き物です、ありがとう♪



実家からまたたくさんの食材が送られてきて、たくさんのポンカンが入っていました。
お母さん、我が家は何人家族でしょうか?(笑)
ポンカンはすこし砂糖で煮てから、ケーキにいれて焼いてみました
ほどよい酸味と果実の甘みをなるべく活かした感じで、美味しく仕上がったのではないかと思います♪→必殺技・自画自賛(笑)



すごい働きもので本当に敵わないなぁと思う人が三人いる。

ひとりは父上。
ひとりは母上。
ひとりは妹。

働き者の家族のなかにいて、私が一番怠け者。
いつも反省しきりです。
家族のみんなに恥ずかしくないよう、私も私に出来ること、私のやるべきことを地道にコツコツ頑張ろう。

家族と話していると、そんな風に思います。
そういう家族がいて、幸せだな、ありがたいなと。
思います。

家族って、いいね。

2010年1月30日土曜日

名画座。

これが名画座!ちょっと古そうな映画館だなってくらいで、見た目に違いはない(笑)


これこれ、映画館の前で、「どんな映画なんだろう」ってポスターを眺めるのがとても好きでした♪


手書きの上映スケジュール!たまりませんねっ♪


さりげなく「二本見ていい」って書いてあった(笑)


入り口の手前に券売機が!これで券を購入するんだ~へぇ~


1929年に発売されたミネラルウォーター、そのころから富士山といえばバナジウムだったらしい!
・・・ていうか、バナジウムって・・・なんだっけ??(笑)
創業は昭和4年、尊敬・・・!



私が惹かれる夕刻の色、本当はね、富士山のシルエットがうっすらと、わりあい大きく見えていたの
肉眼では捕らえられたけれど、レンズでには写らなかった
人体の勝ちだね



今宵の月はまん丸で大きい
さすがに携帯カメラだと反射して上手く撮影できず(>_<)
もっと黄色く、落ち着いた光と色合いで、そして、大きかった



「目黒シネマ」という映画館があることを偶然知った。
そこはいわゆる名画座、公開を終えた旧作を二本立て、三本立てで格安に上映している。

・・・ということを知らずに、「なんだか面白そうなレトロ映画館がある!」「あ、上映作品が『南極料理人』だ!観たかったんだよね~!」「堺雅人大好き!」「行ってみよっかな」と、軽いノリで出かけた。

目黒なら大好きな東京都庭園美術館があるじゃん♪
朝一番に映画を見て、イタリアンでちょっと優雅なランチを楽しんで、それから午後は庭園美術館でゆっくり過ごそう♪素敵な休日になりそう!!

ところが。
冒頭述べたように、名画座はなんと二本立てだったのだ!!
そのことを知るのは、切符をもぎってもらった瞬間だった。
「最初は『南極料理人』からです」
・・・え?最初は??

二本の作品が交互に上映されることはスケジュールを見て知っていたが、まさか両方とも見られるとは!!
てっきり、どちらか好きな作品の上映される時間に合わせて映画館に赴き、好きなほうを観て帰るのだと思い込んでしまっていました(笑)

でも、思い出しました。
小学生の頃、映画は大抵二本立てで上映されていました。
そして気に入った映画は一日中映画館に入り浸って、二回、多いときで三回見ていました。
二作上映だから、見たいほうの映画が回ってくるまでの時間がひどく長く、どうやって潰すか、暗くなった映画館内という限定的な場所で様々な遊びを創作していました。
いつからだろう。
映画が一本立てになり、予約制になり、入れ替え制になったのは。

私が小学生の頃はどこの家にもビデオがあったわけではなかった。
たしか我が家にビデオデッキがやってきたのも、小学校高学年のときだったような気がする。
そして封切り半年弱でレンタルショップに作品が並ぶ今と違って、当時は一年くらいはレンタルが出来なかった。
観たい、と思った映画はレンタルを待たずにやはり映画館に観に行ったし、気に入った映画は一日中映画館に居て目に焼き付けるか、何度も観に行くか、どちらかだった。
私が初めて二度観に行った映画はミュージカル「アニー」だった。
次に三度観に行ったのは「スタンドバイミー」だった。
そして、その後ずいぶん大人になってから「タイタニック」。
そして記憶に新しいところでは「踊る大捜査線」(笑)

話がそれました(笑)
そんなわけで、映画館入り口で本日は「南極料理人」と「クヒオ大佐」の二本立てであることを知り、本日の予定は音を立てて崩れました。

でも、なんとなくワクワクする予定変更です。

レトロな映画館は私の予想を裏切ることなく、いえ、思った以上に手作り感の溢れる空間で、この空間を楽しむためだけにこの映画館に映画を観に来てもいい、とさえ思いました。

名画座は、上映者のセンスが楽しめる。
決められた映画を決められたスケジュールで上映する新作とは違う。
どんな映画を選ぶか。
どの映画を組み合わせるか。
きっとそれが名画座に勤める人の一番の醍醐味だろう。

今日は非常に混んでいました。
なんと、館内が明るくなったとき、通路の脇には座れなかった人達がパイプ椅子に座って映画を鑑賞していました。
堺雅人の人気なのだろうか?
それとも、名画座の魅力なのだろうか?

映画は二本ともとても面白かった。
期待していた「南極料理人」は期待に違わず、とても面白かった。
料理&食事、南極観測隊のみなさんの日常生活を面白おかしく、そして人情味溢れて描いてあるのはもちろんのこと、家族や恋人とのつながりも重すぎず、でもきちんと温かく描かれていて、すごくよかった。
観たあとに、「観てよかった」と思う映画でした。
もう一作、「クヒオ大佐」、これも、滑稽味と淡いペーソスを深刻すぎずエッセンスのように描き出していて、いずれの作品も、最近は邦画流行と言いますが、頷ける秀作だなぁと思いました。

忘れていたけれど。
映画って、結構好きだったんだなぁ。
高校生のころはモノクロームの映画に夢中でした。
ヴィヴィアン・リー、オードリー・ヘップバーン、グレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリッヒ。
ビデオで観ていました。
大学生になるとすこしだけおこづかいに余裕が出てきましたので(親からの仕送りを上手にやりくりして・笑)、当時、真夜中過ぎにたしか1000円くらいでヘップバーン特集をやったりする映画館があり、友達と眠い目をこすりながら観に行き、そして歩いて二時間、三時間かけて家まで帰る・・・というようなことをしていました。
映画自体を楽しむことにプラスアルファして、映画が終わって深夜の三時、四時、人通りの少ない道を友人とぽつりぽつりと語りながら歩き続ける、、、そういう、傍から見れば馬鹿げていること、無意味なこと、無価値なこと、その行為事態を楽しいと感じるのが「青春」「思春期」だったのかもしれませんね。

レトロ映画館で、そんな懐かしいことも、思い出しました。

2010年1月27日水曜日

徒然なるままに




煙、好き。
ゆらゆらと立ち上る煙を見ていると、なんとなく安心する?
元ヘビースモーカーの呟き



新作のおやつ。
マシュマロとホワイトチョコとコーンフレーク、30分で出来る簡単レシピ。
前回はミルクチョコレートだったけれど、レシピがほんのちょっと違うだけで、こんなにも見た目が違う。
おんなじ材料で出来ている人間も、レシピによってもっともっと千差万別。



日暮らし、硯に向かいて、心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、くるしうこそものぐるおしけれ。

なんでしょうね。
このブログは、私にとって、なんとなくそういうモノのような気がします。

なにかを感じたとき。
感じたんだけれども表現するのが難しいとき。
とくになんということもないのだけれど、なんとなく、もの寂しくて開いてしまうとき。

いろんなタイミングがあります。
でも、どんな心境のときにも、同じことがひとつだけあります。

それは、なんとなく、このブログを立ち上げてしまう、ということ。

書きたいことが迸ることもある。
なにか書きたいのだけれど言葉に詰まることもある。
今までなにも考えていなかったのに、立ち上げた瞬間に言葉が溢れることもある。

面白い。
自分自身の心の動きが、とても。

2010年1月25日月曜日

規定しているのは。

空へ、空へ、もっと高みへ


規定しているのは、君自身。
他の誰でもない。

解放するのは君自身。
他の誰でもない。

人は誰でも自由。
自由になれる。

君自身がそう望みさえすれば。

人は望んだ通りにしか生きない。
そういう生き物。

2010年1月24日日曜日

ロウバイ。

今日も気持ちのよい青空!出かけずにはいられませんでした♪

普段はバンビとモンキー、2台のロープウェイが頑張ってます♪
ただいま臘梅期間中で臨時増便「臘梅号」って、そのまんまやん!(笑)


臘梅






秩父の街を一望のもとに


気の早い梅?






ゴツゴツとした山並みは勇壮、宝登山神社奥宮から


福寿草


地元の謡?太鼓の音がリズミカルに木霊する


やはり食べ物写真がなくてはね、待ってたよね?(笑)
初めて戴きました「上州まんじゅう」
群馬のおまんじゅうだそうで、肉まんの皮の部分のみ、パンみたいな感じで、甘めの味噌だれをつけていただきます♪
みたらしまんじゅう、みたらしパンといった感じ、シンプルで美味しい!



宝登山神社、ヤマトタケルと縁があるとかないとか。高い木立に囲まれた、小さいけれども壮麗な神社。




最新作のお菓子。超簡単、マシュマロとチョコレートとコーンフレークを混ぜるだけ♪
高校時代、友人がよく作ってくれていたものを思い出し、似たようなレシピを探して作ってみました。
お味は上記の材料だけなので、当然美味っ(笑)
問題はマシュマロの食感が思ったより硬くなってしまったこと・・・もうすこしモチモチ感を出したいな、次回再チャレンジ♪
見た目がパウンドケーキなのは、四角いバットがなくてケーキ型で代用したため(笑)



狼狽じゃありませんよ(笑)
「臘梅」と書くのだそうです。

梅の仲間ではなく、れっきとした(?)ロウバイ科ロウバイ属という植物だそう。
由来は、
花が臘細工のように美しいから
花弁の色が蜜蝋に似ているから
臘月(師走)に咲く花が梅に似ているから
・・・諸説紛々あるようです。

宝登山には三種類の臘梅があるそうです。
和臘梅、素心臘梅、満月臘梅。
満月臘梅は素心臘梅の品種改良ということで、正直区別がつきませんでした(笑)
和臘梅は原種だそうで、一番香りがよいのは素心臘梅とのこと。

本当に、庭園一杯に、甘い甘い花の香りがおおげさでなく満ちていました。
こんなに花の香りを感じることってなかなかないなぁと、思い切り花の香りを満喫してきました。
梅園がとても好きなのですが、上京してきてがっかりしたのは、名だたる梅園に行っても「花の香り」があまりしないような気がするのです。
ひとつには、とても広いからっていうのもあるのでしょうね、香りが散逸してしまうというか。
私のなかでBest of 梅園は、東風吹かば思い起こせよ梅の花、太宰府天満宮です。
大宰府の梅園は狭いせいか、馥郁とした梅の香りが漂っていたように思います。
それももう・・・10年以上前の記憶ですけれど。。

その大宰府の梅園に勝るとも劣らない芳醇な香り。
香りは水仙に似ていると思いました。
水仙ほど強烈ではなく、水仙よりもうすこし柔らかく、もうすこし甘い。

人間は五感によっていろんな情報を受け取り、記憶し、それを昇華させていったところに「感覚」「感性」が生まれるのではないかと思います。
人によって、自分が一番刺激を受けやすい感覚器は違うと思います。
私にとっては、一番重要なものは「視覚」
しかしその次に鮮明なのは、私の場合は「嗅覚」のような気がします。
よい香りも、たぶんこれ嗅いではいけないんじゃないかな~という香りも、どんな香りも一度は試したい衝動を抑えることが出来ません(笑)
「香り」がたまらなく好きです。
臘梅の香り、すごく私好みでした。

そして、名前の由来に恥じない姿の美しさ。
なんといいますか・・・美しい、というとすこしおおげさかもしれません。
「可憐」という言葉がぴったりの花です。
下向きに、俯き加減に咲く奥ゆかしさ。
確かに、花弁が臘細工のように、向こう側がほんのりと透けて見えそうなほど透明度が高い。
蜜蝋に似ている、とは、言い得て妙。
良く見るとその花弁は非常に美しい。
とても高貴だけれども、姿はとても可憐で、その美しさを密やかに隠している。
じっと見つめていると、この花はただ可愛いだけではなく、透けるような花弁といい、ふわりとしかし決してほかに紛れてしまうことのない馥郁とした香りといい、艶やかな美しさを持った花だということが分かります。

臘梅、初めて見に行きましたが、大ファンになりました♪
また来年も見に来よう。

2010年1月23日土曜日

足利学校。





























先日東照宮に赴いた時に、途中「足利」という地名に遭遇した。
食べ物本と並んで我が家に近年増えているのが「お散歩本」。
町歩きの本から、ちょっとした日帰り山歩きだのドライブコースだの、近隣のお散歩ブックを集めては悦に入っている。
その中で、付箋をしたままいつか行こうと思ってまだ訪ねたことがなかったのが足利だった。
意外と近い。
東照宮への訪問で味をしめた私は、本日のお散歩コースを足利学校と決めた。

今日は絶好のお散歩日和だった。
たまらない空の青。
たまらない雲の白。
それは(私にとっては)えもいわれぬ良いいろあい、よいかたちの、絶妙の空だった。

足利という町が好きになった。
鄙びている。
でも惨めさはない。
古い町並みだけれど、明治のモダンな趣きの残る建物が多い。
こういうレトロモダンな石造りの建物は大好きだ。
町全体に、そこはかとない明るさが漂っている。
そして道行く人達の年齢は高いけれども、みなさん足腰が鍛えられているのかキビキビしていて早い。
何度か道に迷って尋ねたけれども、とても親切に教えてくださる。

足利は「学問」と「機織」の町だ。
足利学校に足を踏み入れると、なんとなく身体がしゃんとなった。
当時の学問と言えば、孔子の教えを学ぶこと、儒学が主流。
中身の詳細は知らなくとも「子曰く・・・」に始まる論語を、一度も耳にしたことがないという人は、現代でも探すのが難しいのではないだろうか。
昔の人は勤勉だった。
こういう場所に来ると、本当に、自分の無学を恥じる。
今では誰もが大学を出るのが当たり前の時代になったが、果たして本当の知識人、教養人はいったいどれくらいいるのだろう。
高い授業料を払い、長い年月を費やし、私達が身につけたものはいったいなんだったんだろう?
時々、恥じないではいられない。
学問を尊ぶ心、教養を愛する心。
敬虔な気持ちでもう一度、机に向き合いたいと、、、こういう場所に来ては思うのだが、日常の忙しさに紛れてつい後回しにしてしまう。
やはり私は、心底からは勉強が好きなわけではないようだ。
それでも、折に触れ自覚しておくことは、老後の晴耕雨読に繋がるかもしれないと思ったりもする。
感受性がなくなっていないことだけでもよしとしよう(笑)

からくり時計の前を17時丁度に通りかかった。
最初はそんな場所に唐突にからくり時計があるとは思わなかった。
通りかかった私を地元の人間だと勘違いした観光客のおじさんとおばさんが、「このからくり時計壊れてるよ、市役所に言っといてよ」と声をかけてきた。
「17時なのに、からくりが動かない」
確かに、時計のデジタル表示は17:00。
でもからくり時計は動く気配もない。
ふと自分の時計を見ると・・・17時には2分ほど及ばない。
「あと2分待てば、鳴るかもしれませんよ」
ビンゴ!
デジタル時計が17:02を示した時に、ぱっとケースの中にライトが点り、夕焼け小焼けの曲とともに機織をするからくり人形が動き始めた。
袖摺り合うも他生の縁。
最初はぶつぶつ言っていたおじさんも、おばさんも、にっこりして「どうもね」と手を振って去っていく。
私も気がつかず通り過ぎるところだったからくり時計を、思いがけず見ることが出来てすごく嬉しかった。
そしてそういう旅先のふとした触れ合いが・・・くすぐったいけれど「人情」という言葉を思い起こさせる。

それにしても、機織の音というのは・・・実際に耳にしたことがないはずなのに、なぜこうも懐かしく心に響くのだろうか。
パッターン、カラカラカラ、パッターン、カラカラカラ。
永久運動のような繰り返しは、私の心を惹きつける。
寄せては返す海の波もそう。
砂時計もそう。
すごく似ているようで一瞬も同じ瞬間はありえない。
私は、そういうものに惹かれてやまない。

足利には三つの名所があるそうだ。
今回はそのひとつ、足利学校へ出かけた。
あと二つを回る楽しみは、また次回にとっておこうと思った。