先日東照宮に赴いた時に、途中「足利」という地名に遭遇した。
食べ物本と並んで我が家に近年増えているのが「お散歩本」。
町歩きの本から、ちょっとした日帰り山歩きだのドライブコースだの、近隣のお散歩ブックを集めては悦に入っている。
その中で、付箋をしたままいつか行こうと思ってまだ訪ねたことがなかったのが足利だった。
意外と近い。
東照宮への訪問で味をしめた私は、本日のお散歩コースを足利学校と決めた。
今日は絶好のお散歩日和だった。
たまらない空の青。
たまらない雲の白。
それは(私にとっては)えもいわれぬ良いいろあい、よいかたちの、絶妙の空だった。
足利という町が好きになった。
鄙びている。
でも惨めさはない。
古い町並みだけれど、明治のモダンな趣きの残る建物が多い。
こういうレトロモダンな石造りの建物は大好きだ。
町全体に、そこはかとない明るさが漂っている。
そして道行く人達の年齢は高いけれども、みなさん足腰が鍛えられているのかキビキビしていて早い。
何度か道に迷って尋ねたけれども、とても親切に教えてくださる。
足利は「学問」と「機織」の町だ。
足利学校に足を踏み入れると、なんとなく身体がしゃんとなった。
当時の学問と言えば、孔子の教えを学ぶこと、儒学が主流。
中身の詳細は知らなくとも「子曰く・・・」に始まる論語を、一度も耳にしたことがないという人は、現代でも探すのが難しいのではないだろうか。
昔の人は勤勉だった。
こういう場所に来ると、本当に、自分の無学を恥じる。
今では誰もが大学を出るのが当たり前の時代になったが、果たして本当の知識人、教養人はいったいどれくらいいるのだろう。
高い授業料を払い、長い年月を費やし、私達が身につけたものはいったいなんだったんだろう?
時々、恥じないではいられない。
学問を尊ぶ心、教養を愛する心。
敬虔な気持ちでもう一度、机に向き合いたいと、、、こういう場所に来ては思うのだが、日常の忙しさに紛れてつい後回しにしてしまう。
やはり私は、心底からは勉強が好きなわけではないようだ。
それでも、折に触れ自覚しておくことは、老後の晴耕雨読に繋がるかもしれないと思ったりもする。
感受性がなくなっていないことだけでもよしとしよう(笑)
からくり時計の前を17時丁度に通りかかった。
最初はそんな場所に唐突にからくり時計があるとは思わなかった。
通りかかった私を地元の人間だと勘違いした観光客のおじさんとおばさんが、「このからくり時計壊れてるよ、市役所に言っといてよ」と声をかけてきた。
「17時なのに、からくりが動かない」
確かに、時計のデジタル表示は17:00。
でもからくり時計は動く気配もない。
ふと自分の時計を見ると・・・17時には2分ほど及ばない。
「あと2分待てば、鳴るかもしれませんよ」
ビンゴ!
デジタル時計が17:02を示した時に、ぱっとケースの中にライトが点り、夕焼け小焼けの曲とともに機織をするからくり人形が動き始めた。
袖摺り合うも他生の縁。
最初はぶつぶつ言っていたおじさんも、おばさんも、にっこりして「どうもね」と手を振って去っていく。
私も気がつかず通り過ぎるところだったからくり時計を、思いがけず見ることが出来てすごく嬉しかった。
そしてそういう旅先のふとした触れ合いが・・・くすぐったいけれど「人情」という言葉を思い起こさせる。
それにしても、機織の音というのは・・・実際に耳にしたことがないはずなのに、なぜこうも懐かしく心に響くのだろうか。
パッターン、カラカラカラ、パッターン、カラカラカラ。
永久運動のような繰り返しは、私の心を惹きつける。
寄せては返す海の波もそう。
砂時計もそう。
すごく似ているようで一瞬も同じ瞬間はありえない。
私は、そういうものに惹かれてやまない。
足利には三つの名所があるそうだ。
今回はそのひとつ、足利学校へ出かけた。
あと二つを回る楽しみは、また次回にとっておこうと思った。
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