2010年1月11日月曜日

「溢れる」ということ。

ひかり


日光金谷ホテルで購入した”百年ライスカレー”をランチに戴く。
明治から昭和初期にダイニングで供されてきたメニューの再現、とのこと。
ビーフとチキン、チキンのほうが甘めなので、ビーフが好み。
そうですねぇ・・・学食のカレー、スポーツスタジアムのカレーに似ている!(笑)
でもなんとなく、”百年ライスカレー”と言われるとそれだけで幸せな気分になります♪
840円の幸福感、ほどよく浸れました♪



近頃、「溢れた」ことはあるだろうか?

例えば、溢れるもの。
ビールの泡。
コップに注がれる日本酒。
沸騰したお鍋。
日常で溢れるものといえば、それくらい。
「溢れるほどの」は修辞句であって、実際目の当たりにすることはあまりない。

だけど、ここ最近の私は。
毎日、溢れている気がする。

感情が、溢れる。
幸福が、溢れる。

それは、ビールの泡みたいに目には見えない。
目には見えないけれど、確実に私のなかを満たし、溢れていく。

それは、自分の中から自然に湧き上がるというようなものではない。
まわりの人に、注がれて、注がれて、気がつけば溢れている。

満たされて、溢れてしまう。
それはなんて幸福なことなんだろう。
でもそれは私にだけ特別に起こる出来事ではない。
誰のうえにも、日々、起こっているありきたりの出来事。
見ようとさえすれば。
感じようとさえすれば。

誰だって、幸福になれる。
いますぐに。

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