
「こころで見なくちゃね」
有名な「星の王子さま」の一節です。
星の王子さまというのは非常に難しい童話だと思います。
アフォリズムに溢れ、人生の哀歓に溢れ、子どもにとってはすこしストレートではない表現で描かれた物語。
この物語が「大人のために書かれた(描かれた)童話」と言われる所以でしょう。
私はこの本をある程度大人になってから・・・高校生時代に初めて手に取ったような記憶があります。
象を飲んで動けなくなったウワバミの絵。
純粋ではない大人にはそれがなんだか分からない、帽子の絵としか見えない。
そんな出来事を忘れて大人になっていた僕の目の前に現れた小さな星の王子さま。
彼だけはそれがひとめで「象を飲んで動けなくなったウワバミの絵」だと分かってくれた。
それから、小さな王子さまは僕の大切な友達になった。
当時、相当にヒネた文学少女だった私は、このエピソードにノックアウトされ、作者のフランス人らしいエスプリの効いたアフォリズムに惹かれました。
しかしそれから何年も経って、箱根の星の王子さまミュージアムに行ったときに、初めて、物語の中に出てくる高慢で我が儘、しかし王子さまの大切なバラの花が、作者サン=テグジュペリの妻の投影であることを知り、この作品は、砂漠で飛行郵便夫を務めるサンデグジュペリの心のうちを綴った・・・それはある意味では創作であり、ある意味ではまったく創作でなく彼の心の内奥を小さな王子さまの姿を借りて吐露した真実の物語だと知り、私のこの物語への思いはいっそう深まりました。
この物語は子どもの心を忘れた大人へ、子どもの心を思い起こさせる作品だ・・・と、紹介されることがままあります。
しかし私には、この作品は、大人になりきれないままに大人になってしまった孤独を癒したい人のための作品ではないかとしばしば思えます。
この作品のテーマは「孤独」
大人は孤独です。
作品に登場するステレオタイプな7人の大人達。
これを童話として捉えるのならば、それはありふれた警句のように見える。
しかし、その滑稽な姿に皮肉を感じながら、それでもひとりぽっちで生きていくしかない彼らの姿に、私はどこか強烈な孤独を感じてしまう。
大人であることの、大人になりきれていないことの哀しみ。
滑稽な大人たちも、主人公である僕も、つねに「本当の僕の心を分かってくれる誰か」を求めているように思えてなりません。
本当の子どもは、孤独ではありません。
彼らには常に「子どもだけの世界」があり、その世界のなかで彼らの自由な想像力によって作り上げられた独特の世界を共有していつでも夢の世界に羽ばたけるのです。
理解を得られず、理解してくれる友を求めて孤独を感じるのは、実は大人の感性ではないかと。
私はそういう風に思うのです。
五千ものバラ。
でもそのどれも「ぼくのバラじゃない」
ぼくにとってたったひとつのバラであることの意味。
その意味を見出したとき、初めて人は、孤独ではなくなるのかもしれません。