2009年10月8日木曜日

「ヴィヨンの妻」再読。


このところ浅野忠信主演の映画化のおかげで何かと話題にのぼっている「ヴィヨンの妻」。
どんな話だったかと再読。
「あ、太宰らしいな」
読後の感想はこの一語に尽きる。

自己憐憫、自己嫌悪、拡大し彷徨する自我の強要。
放蕩な夫をどこまでも許容する妻という、どちらかといえばステレオタイプな話だと思う。

新潮文庫の同作品集のなかで、小作品ながら私が惹かれるのは「トカトントン」。
なにかに専心するとどこからか「トカトントン」が聞こえ、先ほどまでの、あれほどまでの情熱が一切合財消え失せてしまう。
なんという想像力。
なんという感性。
太宰が病んでいたからこそ実感を伴って描けたのか、それとも彼自身の想像力の結果なのか。
どちらだったかは、彼以外には分からない。

それでも、「トカトントン」と聞こえた瞬間にすべての執着心を失うことへの怖さと・・・そして、誤解を恐れずに言ってしまうのならば、ある種の羨望を禁じえない。

執着。

きっとそれは作家・太宰治を苦しめた、そして太宰を太宰たらしめたこの上もなく強いアイデンティティ。
だからこそ太宰には、この作品が書けたのかもしれない。
・・・・・・怖れと、憧れをもって。

本日、台風一過の青空。

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