2009年10月19日月曜日

「アマゾネスのように」再々再々???読


今年5月にすい臓ガンで亡くなった中島梓さん(栗本薫さん)が、18年前に乳ガンを患った時に書かれたこの「アマゾネスのように」は、初版が92年であったから、それから17年の間、私は折りに触れ、この本を何度も何度も読み返した。

誤解されるのが怖いので先に言っておくが、この本は決して真面目な闘病日記ではない。
どちらかといえば、著者の日常生活のばたばたが描かれており、中島梓さん(栗本薫さん)という人のファンでなければ読んでもすこしもためにならない、面白くない本だと、熱烈なファンだからこそ断言しよう。

が、私はこの本が大好きだ。
今日の食事はなんだった、だんなさんがこうだったという、日常のとりとめもない出来事の記録の合間に、ふと作家・栗本薫が顔を覗かせる。
それが、たまらなく好きなのだ。

彼女は言う。
乳ガンで片方の乳房を失った私は、その昔、最強を誇る女戦士だけの国に生まれ、強くなるために膨らんできた乳房の片側を切り落とし、闘ったアマゾネスなのだ、と。
そして言う、私達人間は、男も女も、全員がアマゾネスとして生きることが出来る、と。
生きることに貪欲で、強くありたいと願う。
弱いからこそ、万が一、いざというときに毅然と振舞えるかどうか。
その瞬間を毅然としていられる自分でありたい、あって欲しい。

強くありたい。
生を力強く生きたい。
生きることが好きだ。

何度も繰り返される、彼女の生命賛歌がとても好きだ。
それは彼女の最も得意とするところであり、彼女の最大の魅力であると思う。

生涯を通じて、彼女は「エンターティメント作家」であった。
高尚な文学など自分には書けない、書かなくていいと言っていた。
飢えた子どもの前で『文学』は有効か、それは彼女の命題であった。
その答えは、飢えた子どもの前で『文学』はまったく有効ではない、しかし、『物語』はその飢えをほんの一瞬だけ忘れさせる力を持っている。

生きること、書くこと、表現すること、命を愛すること。
身体中に情熱をみなぎらせ、生命を謳歌する。
そういう人に、私は惹きつけられてやまない。
早過ぎる幕引きではあったが、死のその最期の瞬間、彼女自身がずっとそう語り続けてきたように「私は生きた」と言って旅立っていかれたのであって欲しいと思う。

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